地域区分(クラナリ)
○面積 57.45 km2(千葉県内で第33位https://sumaity.com/town/ranking/chiba/area/?page=2)
○人口 494,898人(令和6年7月31日現在https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/1111000001.html)○人口の67.3%が15~64歳、平均年齢が44.58歳(令和6年6月30日現在)https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/1111000011.html)
千葉県市川市は、都心に行きやすく、便利な場所で、たくさんの人が暮らしています。また川が流れ、海に面し、自然に親しむこともできます。
市内には、7本の路線、そして16駅があります。
それぞれの駅の周辺には、それぞれに異なる景色や産業があるでしょう。そんな多様性は、普段の暮らしや仕事の中ではなかなか気づけないかもしれません。
市川のそれぞれの地域の人が、市川に住む人に情報を伝え、なんとなくつながっていくこと。遠い将来、地域に根差した仕事を作っていくこと。そのための市川アーカイブです。
これまでに『クラナリ』で取り上げてきた市川市内の各地域の情報をまとめていきます。
■地域区分
市川駅北エリア
1894(明治27)年の総武鉄道市川駅の開業には、国府台周辺にあった陸軍の施設が大きく関係しているのではないかと、勝手に思っています。市川駅から陸軍の施設までの道路は、商店が多数あり、花街も形成されていました。そのため「陸軍ありきで町が発展した」という一面があります。
市川駅南エリア
JR総武本線の線路より南で、東京外かく環状道路よりも西側のエリアです。
1902(明治35)年から1965(昭和40)年頃まで、市川駅の南側はイチゴの産地で、「市川の朝摘み苺」として有名だったそうです。
市川駅南口地区市街地再開発事業(以下、南口再開発)で消えた市川駅南口アーケード街について、本やネット、口コミなどで情報を集めて、年表にまとめました。「昔ながらの商店街」を礼賛しているわけでも、南口再開発の是非を問うものではなく、「時代とともに、町・暮らし・生業はどのように変わっていったのか」を追っています。
本八幡駅北エリア
本八幡駅は1935(昭和10)年9月1日に開業しました。前年の市川市誕生、そして当時の八幡町に市役所が置かれたことが、本八幡駅開業と大きく関係しているようです。
本八幡駅南エリア
中山エリア
松井天山作の「千葉縣中山町及葛飾村鳥瞰」を見ると、中山法華経寺を中心に、門前町が広がっていることがわかります。
「千葉縣中山町及葛飾村鳥瞰」 |
妙典エリア
東京メトロ東西線妙典駅の周辺です。
帝都高速度交通営団東西線によって人口が増え、町が発展し、2000(平成12)年に開業したのが妙典駅。アメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指したのだそうです。
妙典駅の南側は、1975年(昭和50年)頃まで、秋から春にかけて海苔の養殖、春から秋にかけてはレンコン栽培と、半農半漁の形態だったとのこと。
行徳エリア
常夜灯 |
東京メトロ東西線行徳駅の周辺です。
塩の町として発展した行徳。1812年(文化9年)に、航路安全を祈願して常夜灯が建てられました。当時は寺社参詣が流行し、成田山新勝寺に参詣する人も多かったのです。
成田参詣に出かけるルートに、日本橋小網町から出ていた行徳船(もともとは行徳塩田で塩を運ぶために使われた船)で小名木川・新川を通り、行徳で下船して陸路を行くというものがありました。旅人のために、常夜灯には明かりがともされていたようです。
南行徳エリア
浦安市との境にある当代島水門 |
東京メトロ東西線行徳駅と、JR京葉線市川塩浜駅の周辺です。
帝都高速度交通営団東西線の南行徳駅は、1981(昭和56)年に開業しました。南行徳メトロセンター会のX(旧Twitter)が好きです(個人的な話ですが)。https://x.com/nangyo_metro?lang=ja
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