【コミュニティづくり入門】 「ICHIKAWAMAP」をめぐる冒険 05イチイチ/つみき設計施工社 06La Patisserie TSUKI 13MINT BLUE
〒272-0132 千葉県市川市南大野3丁目14−4
〒272-0804 千葉県市川市南大野2丁目2−34
今度、オープンしているときに撮影します(涙) |
MINT BLUE
〒272-0823 千葉県市川市 東菅野1-2-13-102
ICHIKAWAMAPに掲載されているスポットの中でも、『クラナリ』編集部があるJR市川駅南側から最も遠い場所にあります。
徒歩でどれぐらい時間がかかるのか心配していたのですが、結果、ほぼ1時間。
途中の道に起伏がないため、自転車なら20分で行けそうです。
「南大野へ行くなら、この方向だろう」とかなりアバウトに道を進んでいたところ、ICHIKAWAMAP13番の「MINT BLUE」を発見。
表だけ撮影して、先を急ぎました。
主に通ったのはニッケコルトンプラザ通り(市道117号)・アーセナル通り(市道127号)で、神社などのパワースポットは見当たりませんでした。
比較的新しい道路なのでしょうか。
以前歩いたことのある県道51号市川柏線も、JR本八幡駅近辺から市川大野方向へと伸びているのですが、こちらは神社や道祖神らしき石碑などがわんさかあったのです。
けっこう起伏があり、坂から下りてくる自転車とすれ違うときはちょっとした恐怖を覚えたほど。
通りによって町の印象が変わるものだと実感しました。
話はICHIKAWAMAPに戻って、6番のLa Patisserie TSUKIはお休み。
Facebookに「7日(月)〜9日(水)まで年末年始の代休で、連休をいただきます。10日(木)は予約販売のみの日です」と書かれていました。
ちなみに、食べログによると定休日が火曜日。
そのほかの曜日の営業時間は10:00~19:30のようです。
5番のイチイチ/つみき設計施工社も静かな様子でした。
こちらではワークショップなどが開かれている模様 |
今回の目的は「とにかく、ICHIKAWAMAPに掲載されているスポットに足を運ぶ」だったので、次回は皆さんのアポを取って、ICHIKAWAMAPに掲載された後の変化などについてお話をお聞きしたいと思います。
帰りは気分的に余裕があったので、フラフラと撮影しながら歩いていました。
イチイチ/つみき設計施工社の向かいにあるこざと公園は、調節池として整備されたとのこと。12年前に「市川大野こいのぼり祭」で訪れました |
以前はJR市川駅北口にもお店があり、餃子を買った経験がある「ひさご亭」。懐かしい! |
おいしそうなにおいがしていました |
レトロな雰囲気に魅かれてしまう手芸店 |
アンダンテという洋食屋さんでしょうか |
アーセナル通りのパッパパスタ市川店はイタリアンレストラン。駐車場が広い! |
規模が大きな中古車店 |
「姫宮団地入口」というバス停の付近には、大規模な住宅団地が! 名称は「市川パークハイツ」のようですが、「姫宮」はどこへ?(※) |
南大野の人口密度が高いことが不思議だったのですが、住宅団地のためだと納得した次第です。
「わたしたちの市川」 P83~84より |
1 市川市の町名と人口密度(じんこうみつど) 「わたしたちの市川」 P83~84http://www.ichikawa-school.ed.jp/fukudokuhon/shiryou/shiryou-jinnkou.htm
大粕川第一調整池は冬枯れ |
次の目的地は国府台。
実は何度も歩いて行ったことがあり、坂がなかなか大変だと知っているので、気合を入れて行こうと思っていました。
※追記
姫宮団地について、知人が連絡をくれました。南大野とは逆サイドの奉免町(ほうめまち/ほうめんまち)のJR武蔵野線の線路近くに、ひめみや食堂という中華料理店があったようです(食べログによれば、住所は千葉県市川市奉免町37-18で、2016年3月に閉店)。
ひめみや食堂の周辺が、姫宮団地ということのようです。バス停から遠い気もするのですが……
奉免町については、ウィキペディアによれば鎌倉時代に常磐井殿(ときわいのみや)の姫宮(後深草上皇の皇女)が住むようになったことから、姫宮の面倒を見る代わりに幕府は村の年貢の奉納を免した、つまりは「奉免」されたことで、このような名前になったのだとか。
奉免町の安楽寺は、姫宮が尼になって開山するに至ったのだそうです。
鎌倉時代中期の後深草上皇(1243- 1304年)についてネット検索すると、今の天皇陛下の「生前退位」と絡む話題が見つかりました。
親が兄弟姉妹の間でえこひいきをするというのは、昔から珍しい話ではなかったのですね。その結果、親が死んだ後で争いが起こります。
私が以前に弁護士を取材した際に、「お金がある・ないは関係なく、相続争いは起こるんですよ」と聞いたのですが、親のえこひいきが生み出す兄弟姉妹の不仲が関係するわけです。兄弟姉妹の争いを避けるため、遺言状は大事です。話がそれましたが……
「南北朝」を避けるため?現代に「上皇」がいない理由 NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20160924_451349.html
2016/09/24
後深草上皇の父親は、第88代天皇の後嵯峨天皇。
後深草上皇には、弟がいたそうです。
後嵯峨天皇は弟のほうがかわいくて仕方がなくて、何としても天皇にしたかったようなのです。
それで、「長子相続」という建前で、次のことをしました。
1 後嵯峨天皇は生前退位を行って後嵯峨上皇になり、院政を敷いたため、上の息子は4歳のときに天皇、つまり後深草天皇になった
2 その14年後、強制的に後深草天皇に天皇を譲らせて後深草上皇にし、弟を天皇、つまり亀山天皇にした
3 後嵯峨天皇の死後、後深草上皇の系譜は「持明院統」、亀山天皇の系譜は「大覚寺統」になって皇位継承で対立
4 大覚寺統の後醍醐天皇が武士の力を結集して鎌倉幕府を倒し、南北朝時代が始まる
こうした過去の反省をもとに、皇室典範は天皇が譲位などして生前に退位することは認められていないようです。
Leave a Comment